今までに見た最悪の閉塞感【得票数✖✖票で敗れた地方議員の孤独】
コロナ自粛で外に出られない。
最初は何とかガマンできそうだったけれど、さすがに自粛も3か月目となると、ガマンも限界が近づいてきそうです。
これほどの閉塞感と孤独を感じることなど、ほかにあるのでしょうか。
何か精神に不協和音が鳴り響く感じがぬぐえません。
コロナ自粛がこの先もずっと続くとなると、気がおかしくなってしまいそうな恐怖を感じます。
今回の記事は、私がこれまでに見た「閉塞感」や「孤独」にまつわるできごとの中でも最悪だと感じた体験について書きたいと思います。
子ども心に見た大人の事情
私が中学生の時に本当にあった話です。
平成どころか、もっとずっと昔の昭和の話です。
40年以上がたっていますから、もう時効だと思い、話します。
私の住む地方の町で町会議員の選挙がありました。
中学の部活の後輩のおじに当たる人が出馬していました。
中学生でも「後輩の親戚が立候補」となると、関心を持って選挙を見ていました。
選挙運動から開票までやじ馬根性丸出しで見つめていました。
青春の選挙カーいじり
そのときのことは、 いまでも鮮明に覚えています。
中学生は意外と選挙好きです。
選挙カーから手を振り返してくれるからです。
応援しようという気なんてありません。
もちろん遊び半分です。
手を振ってくれるどころか、こちらが遊び半分なのに、マイクで礼を言われます。
「中学生のおぼっちゃん、ありがとうございます!!」
大音量で告知してくれるのです。
選挙カーが走るたびに手を振ったり、候補者の名前を呼んだりして、つかの間の非日常行事をエンジョイしていました。
本当にあった驚きの開票結果
さて、それで開票結果はどうだったのでしょうか。
投票翌日の朝刊を楽しみに開きました。
投票結果。
後輩のおじさんの得票数は、なんと
計1票
だったのです。
大人になってからじわじわと恐ろしさが忍び寄ってくる 出来事 でした。
究極の閉塞感と孤独
その日から部活でも選挙の話をするのはタブーとなりました。
誰かが「タブー」と言ったわけではなくて、中学生ながらそこは触れてはいけないコトと感じ取っていました。
「得票数が1票」ということは、本人以外誰も票を入れなかったということです。
となり近所、親戚、同級生はおろか、奥さんも親兄弟も票を入れなかった。
これはどういうことでしょうか。
候補者の心境
中学生の当時、このできごとを自分がどう理解したかはあまり覚えていません。
今とは感じ方が違ったと思います。
大人になって家族関係などの背景に想像が及ぶようになって、じわじわ忍び寄ってきたのは、落選した候補者が遭遇したであろう 閉塞感と孤独に対する恐怖 です。
「妻や親兄弟さえ自分に票を入れなかった」と知ったときの候補者はどんな心境だったでしょう。
その心境をことばで表すなら「閉塞感」「孤独」以外にぴったりくるものはない気がします。
むしろその後の人生で闘わなければならない「閉塞感」「孤独」はどれほど辛いものだったか。
今回の記事は暗くなりました。
これほどまでの試練とは縁のない人生を歩みたいと、私なんかは考えてしまいます。
本日は当ブログをお読みいただきまして、ありがとうございました。
1日も早くコロナ自粛から解放されて、閉塞感や孤独とは縁のない日々が送れることを願っています。