タバコ吸っていいですかと聞かれても断れない理由・副流煙は勘弁して
ツイッターで、焼き鳥屋で隣の客に「タバコ吸っていいですか」と聞かれて「いやです」と答えたという投稿を見た。
強い人だ。
私にはできない。たぶんずっと。
「いやです」と返された相手は、意外そうな顔をしたらしい。
最初から「いいですよ」と返ってくるのを期待していたわけだ。
それで思い出したことがある。
苦い思い出だ。
ここ、いいですか
京都の銘居酒屋といわれる店でのこと。
カウンターの角に私がすわると、もう空いた席はなかった。
となりの客とひじが触れ合うほどの満席ぶりで、ゆったり飲める雰囲気ではなかった。
そこに新たなひとり客が入って来た。
常連客のようで、カウンター内の店のスタッフと言葉を交わして1つも残ってないはずのいすを店の奥から引っ張り出してきた。
ここ、いいですか?
カウンター角で列からはみ出してすわる私の左側にいすを置く。
人ひとり分のスペースはない。
いいですかと聞きながら、すでにいすはきっちり置いている。
うまいなあ。
私もそれぐらい要領よく生きていれば、違った人生を歩いているのかも。
まあ、それはいい。
居酒屋の一夜にすぎないけど
右隣りの客と肘が触れ合っているというのに、左側までグイと迫られた。
こんなに窮屈に飲むのか。
こちらは年に何度かの満を持しての京都の夜だ。
住んでいる田舎には店はない。
京都に来た時ぐらいしか居酒屋を楽しめないのだ。
でも、だからこそ気持ちよく過ごしたい。
ガマンしよう。
造りの盛り合わせが届いた。
これをつまみながらビールから燗酒。
京都まで来る目的のひとつが達成目前だ。
サカナは活きがいい。
表面が裸電球の灯りに光っている。
さ、食べよう。
久しぶりだ。
ビールを一口飲んで箸を握ったところで、、、
タバコ吸っていいですか
私よりだいぶ若い(学生にも見える)左の客が、もぞもぞとポケットから取り出したタバコとライターを私に見せて言った。
タバコ吸っていいですか?
え?
このタイミングで?
今から造りを食べるのだ。
そこにタバコの煙か。
え? というこちらの気持ちは伝わらなかったのか、若い兄さんはなぜか愛想笑いだ。
指はしっかりタバコをつまんでいる。
、、あ、いいですよ。
本音とは裏腹なことばが出た。
気持ち、か細い声になった。
コクンと頭を下げて兄さんはタバコに火をつけた。
煙はすぐに皿の上の造りを覆った。
許せない光景
ここまでで許せないことが3つある。
ひとつ。
造りの盛り合わせにタバコの煙は似合わない。
刺身の上を煙が漂う光景が許せない。
カウンターにビールと刺身。
この光景を夢見て、どれだけ仕事がんばってきたと思っているのだ。
悲しいけど、歳をとるごとに先は短くなる。
1回の食事の価値はそれだけ重くなるのだ。
煙のない美しい盛り合わせの光景を返してほしい。
ふたつ。
若いころほど飲めないから、今は長くて90分。
その90分の至福の時間が、憎悪の時間になってしまうこと。
すでにイライラしてきた。
これではダメだ。造りだけ食べたら店を変えよう。
鴨川の風が入ってくるこの店が本命だったけど、仕方ない。
最も許せないこと
あとひとつ。
これがずっと引きずりそうで辛い。
なんで「いやです」と言えなかったのか。
自己嫌悪。
言えない理由はわかっている。
相手が20歳ちょっとの若者だから、弱いものいじめになりそうで忖度した?
相手が店の空気とスタッフになじんでいるから、一元客はモノが言いづらかった?
いや、全然違う。
つまり、客の数10人ちょっとの小さな世界で、良く見られたい欲求を満たそうとした自分に嫌気がさしたということ。
タバコの煙なんて気になりませんよ、と心にもないウソで繕ってしまった。
波風をたてるのを避けたかった。
寛大さと存在を認められたい、セコい承認欲求にほかならない。
苦い思い出なのは、いいですよをこれからも繰り返しそうだから。
造りもビールも不味かったのは言うまでもない。
で、記事冒頭の「いやです」の青年はその後、焼き鳥を美味しく味わえたのだろうか。
気分よく飲めたのだろうか。
だとしたら、本物の人物だ。
私の場合は、いいですよと答えてビールも造りも不味くなった。
いやですと答えていても不味かっただろう。
それならいっそ、いやですと言って不味い方がましだったのかどうか。
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